日本ロシア文学会(2021年10月31日)と日本音楽学会(2021年11月13日)の両大会での口頭発表

2021年10月30、31日に行われる日本ロシア文学会第71回大会(オンライン)のラウンドテーブル「ニューノーマル時代におけるロシア音楽研究の新たなモデル構築を目指して」(10月31日9:30〜12:30、企画:一柳富美子(敬称略、以下同)、パネリスト:山本明尚、野原泰子、石井優貴)、2021年11月13日に行われる日本音楽学会第72回全国大会(信州大学とオンラインでのハイブリッド開催)で個人として、口頭発表を行います。どちらも現在執筆中の博士論文の一部に関する発表です。皆様から広くご意見ご感想いただけますと嬉しいです。以下に、両発表の要旨を掲載いたします。

日本ロシア文学会「ニューノーマル時代におけるロシア音楽研究の新たなモデル構築を目指して」(10月31日9:30〜12:30)

山本明尚「ペトログラード・プロレトクリト附属第一音楽学校の活動:1919〜1925年」

本発表では、プロレタリア教化を旨として1917年から1920年代前半まで活動していた組織、プロレトクリトが1919年に開設し、1925年まで存続した「ペトログラード・プロレトクリト附属第一プロレタリア音楽学校」を取り上げる。この学校に関する学術的記述は皆無である一方で、親組織のロシア文化史における意義、およびこの学校が同組織の活動の最盛〜衰退期にかけて存在していたことに鑑みれば、その動静は初期ソヴィエトの音楽史において一定の意義を有すると思われる。発表者は現在文書館で入手可能な史料を元にして、1919年開校時点での学校の方針と、1922年〜1925年の教育活動を示し、その背景にあるプロレトクリト全体の趨勢や当時既存の音楽学校との活動と比較して論ずることを試みる。

日本音楽学会(個人発表、E-3、14:40〜15:20予定)

山本明尚「プロレトクリト音楽部門の設立――ロシア・ソヴィエト音楽史のミッシング・リンク」

本発表は、1917年10月にペトログラードで設立され、1920年代中頃まで活発に活動したプロレトクリト(プロレタリア文化教化組織)の音楽部門の成立経緯を整理し、同部門とその所属人員の初期の活動方針を明らかにするとともに、彼らの活動を音楽史的文脈に位置付けることを目的とする。
プロレトクリトは当時、ロシア全国にわたる規模をもち、かつ経済的に安定していた唯一の文化団体であり、労働者大衆に直接文化普及活動を行い、同時代の主要な芸術家たちも積極的にその活動に参与した。このことから、プロレトクリトは最初期ソヴィエト文化史の中で一定の歴史的意義を持つと仮定しうる。しかし、衰退のきっかけがレーニンや共産党中央委員会の批判的発言であることを一因として、プロレトクリトは1920年代以降近年まで一貫して否定的評価を受けてきた。また、音楽学研究の分野に目をやると、この組織の音楽活動に関する研究が存在しないことがわかる。本発表の意義は、これまでほとんど知られていなかったプロレトクリト音楽部門の具体的な設立経緯が解明されること、彼らの活動をロシア・ソヴィエト音楽史の文脈に組み入れる試みにある。
本発表ではまず、プロレトクリト研究の実情と課題の概略と、それを踏まえた本研究の目的を述べる。続けて、プロレトクリトの音楽部門の設立経緯と当初の方針を、文書館所蔵の一次資料をもとに明らかにする。その後、主な所属人員である А. アヴラアーモフ(中央プロレトクリト音楽部門主任)、Б. クラーシン(モスクワ・プロレトクリト音楽部門主任)を例にとり、彼らの革命前後の活動をプロレトクリト音楽部門全体の活動方針と比較し、彼らの組織への加入動機と組織内での目的を考察する。最後に、以上で示し検討した事柄をもとに、プロレトクリトの音楽活動と十月革命以前の音楽社会との連続性・非連続性を示す。

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